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winnie the pooh(ウィニー ザ プー) [■Animals (どうぶつたち)]

poo.jpg

LONDON ZOO(ロンドン動物園)で、
「くまのプーさん」の作品の由来ともなった、アメリカ黒くまの「ウィニー」の記念碑を探しました。
「くまのプーさん」のwinnie the pooh(ウィニー ザ プー)の
ライセンスに関する仕事をしたことがあり、
その歴史を少しは知っていたつもりで記念碑を探したのですが、
実際には2箇所に、二種類の銅像があることを初めて知りました。

poo碑1.jpgpoo碑2.jpg

カナダ・ウィニペグ市のウィニペグ動物園には小熊のウィニーをロンドン動物園に連れてきた、
コールバーン中尉とウィニーの実物大のブロンズ像がたてられているそうです。
トップの画像が、そのレプリカ。

poo碑銅像2.jpgpoo碑3大.jpg
別の一角にある、ウィニーのブロンズ像。
ここには、小熊のウィニーと、「くまのプーさん」の関係説明もあります。

poo写真1.jpg

poo写真説明大.jpgpooミル写真大.jpgpoo写真3.jpgpoo銅像碑23並び.jpg


[本]物語「くまのプーさん」と、
実際にロンドン動物園にいた小熊の「ウィニー」の関係について、
簡単に説明します。

■小熊の「ウィニー」がロンドン動物園にきたいきさつ
1914年カナダのウィニペグで軍馬の獣医だったコールーバーン中尉が
ある日、猟師から母熊を撃たれた小熊(American black bear)を
20ドルで買い取ります。
小熊は町の名前「ウィニペグ」からとり「ウィニー」と名付けられました。
ウィニーは第2カナダ歩兵旅団のマスコットとしてかわいがられていましたが、
1914年12月に、第2旅団は極秘にフランスへ移動することとなり、
この際戦地のフランスに連れていく事は危険であろうと、
ウィニーはロンドン動物園に一時預けられました。
1918年に戦争が終わると、ハリーはウィニーを連れてカナダに帰ろうとしましたが、
すでに動物園でたくさんの子どもたちの人気者になっていることを知り、
そのままロンドン動物園に寄付することにしました。
ウィニーは1934年に亡くなるまで、子どもたちに愛され続けたということです。

■「ウィニー」と「くまのプーさん」とクリストファー・ロビン
1926年にAlan Alexander Milne(A.A.ミルン)によって書かれた物語「クマのプーさん」、
その続編として1928年に書かれた「プー横町にたった家」、
そして詩集「クリストファーロビンのうた」「クマのプーさんとぼく」の4作品は
イギリス児童文学の古典として有名です。

この作家[ペン]A.A.ミルンの息子がクリストファー・ロビン。
動物園にある「ウィニー」と一緒に写っているのが、ロビンです。

5歳のロビンは、家族と共に初めてロンドン動物園を訪れ、
他の子どもたちと同様、すっかりウィニーのとりこになりました。
彼は度々、ウィニーに会いにロンドン動物園に来ていたようです。

さて、当時ロビンが大切にしていたクマのぬいぐるみがありました。
父親のミルンが、お話を聞かせるときに、ぬいぐるみに名前を尋ねると、
「winnie the pooh(ウィニー・ザ・プー)」と答え、それ以来ぬいぐるみの名前となりました。
「pooh(プー)」とは、一家住んでいたロンドン郊外の
Cotchford農場近くの湖にいた白鳥の名前です。

そんな息子の入れ込みようを目の当たりにして、
ミルンがさっそく作った物語が「クマのプーさん」シリーズだったというわけです。


[本]詩集「クリストファーロビンのうた(When We Were Very Young)」 1920年出版
[本]物語「クマのプーさん(Winnie-The-Pooh)」 1926年出版
[本]詩集「クマのプーさんとぼく(Now We Are Six)」 1927年出版
[本]物語(続編)「プー横町にたった家(The House at Pooh Corner)」 1928年出版
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コメント 1

職務経歴書のダウンロード

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
by 職務経歴書のダウンロード (2013-12-09 11:46) 

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